昭和46年08月31日 朝の御理解
御神誡 一、「天の恩を知りて地の恩を知らぬこと。」
地の恩、大地の恩、大地の御恩徳と申しましょうか、大地の御恩徳と、そこに焦点を置いて聞いて頂きたいと思うですね。私共が充実した心の状態でおれるとき、自分自身も助かっておるとき、また周囲から見ましても一番魅力を発揮しておる時と言う事が言えると思う。自分が充実しておるとき、それはどう言う様な場合充実しておると言えるかと、まあおかげを受けると言うか、自分の思う様になると言うか、そういう時に心の中に私は幸せものだとか。
私はついておると、ふがよいと言った様な時に感ずる満足感と申しましょうか、それは私は充実しておると言えないと思います。それとは反対のとき、一番不遇のとき、普通で言うなら恵まれていないとき、いわゆる難儀なときに心の中に有り難いと言う事が分かるとき、勿体ないと言う事が分かる、そういう心の状態を充実しておる時と言えるんじゃないかと思うですね。
それが段々本ものになって行く事が、言わば地の徳が身についている時であると思う。そこからいわゆる地の恩がわからして貰う、大地の御恩徳と恩と徳と。本当に自分自身が地の徳を受けなければ、大地に対する御恩と言うものは、本当の実感としては頂けんのじゃなかろうかと、ただ単に大地、大地そのものに対する恩を、とりわけお百姓なさる方達の場合はこの大地に取り組んでの日々の御用ですから、その大地の御恩と言う事は、これは切実に実感として感じる事が出来られるだろうと思います。
その大地に対して、御恩を感じて有り難うございますと大地を拝む心、それはね本当は大した事ではないと思うです。道理を聞かして貰えば成程大地の大恩とでも言うか、その大地の御徳と言うか、それに対して大地を拝むと言った様な、そういう意味でなら聞けば誰でも分かること、成程そこだとわかる。私は天の恩を知ってその天の真を自分の心の上に頂いて行く。
いわゆる天の真を真として自分の心に頂いて行く、地の御恩徳をわからして頂いて、大地の御恩徳を御恩徳として自分の心に中に頂くと言う事になる時に、はじめて天の恩を知って地の恩を知ることが出来る。いわゆる充実した自分と言うものが出来ていく。天の恩を知って天を拝みよります、地の恩を知って大地を拝みよります、おかげでお野菜も穀物も大地の御恩徳によって出来るんだ有り難いと、この拝むことはね実を言うと大した事じゃないと思うです。
その心を心として自分の心の中に頂けて始めて有り難いと言う事になるのです。それに依って始めて天の恩、地の恩という、それに依って只御礼を言いよります、拝みよりますと言うだけではなくて、本当の意味に於いてそれに報いるところの生活ができると思うです。天地を拝みよると言う事だけでは考えて見て御覧なさい、そうでしょうが、天の恩を聞かして貰うた、地の恩、地の御恩徳を聞かして貰うた、だから天地を拝みよりますだけでは本当言うたら大した事はないです。
その天地の心と言うか天地の御恩徳を、自分の心の中に頂いて始めてそれは有り難いと言う事になる。自分が本当に幸せになりたいならどういう中にあっても自分が充実したもの、充実した心、いわゆる心の中が有り難いなあ、勿体ないなあという心一ぱいの時、そういう時に私が幸せと言う事が言えるのであり、人が見てもそういう場合に魅力を発揮する事が出来るのではないかとこう思う。私共はもう、そこんところを本当に心掛けさせて頂いておかげを頂かなければならんとこう思う。
まあこれは私自身の事で言うならば、御結界の奉仕をさして貰う、やはり次から次と参拝があっておる時には、むしろかえって迂闊な感じがするけど、御参拝やらない時にじっと自分自身を見極めるとか見つめるとか言う様な時、それこそ心の底から湧いて来る様な喜びを感じる事がある。こういう時ならどういう事を持って来られてもおかげじゃなと言えもすれば、思いも出来る。
そういう時に参ってきた人がお取次ぎを頂く、お願をしょうと思って参って来ても何もお取次ぎする事はなくなりましたと言う程しに、おかげを受けておるとき、その御結界にそういう時に、そういう奉仕をしておる時に、人がもう魅力を感じない筈がない。素晴らしい、自分の心が充実しきっておる、不安もなからなければ心配もない、不平不足もない、そういう心の状態を一番有り難い事だと思っているけれども。
迂闊にして御結界から立つ、勝手の方へ行って勝手の方が散らかっておると、こげん散かけちからと、もう自分が充実してない証拠ですね。ここにおる間有り難いのがいっぱいあるのがもうそこまで行く間に抜けとる、そしてもういっちょん片付けとらん、汚いとか言うて口上を言うときですね、そういう時には私の家内が、貴方は男のくせに勝手の方へ出て来てからいらんこと言うちから、と言やせんでん思うとる時ですから、とても魅力なんか感じられませんよね。
ですから私どもが勝手の方へとか、御結界をはずされた時でもです、そういう心の状態にあることを精進する。皆さんの場合でも同じ事が言える。ここで朝の御祈念等お参りさせて貰って、心から御祈念をさして貰う、心から御理解を頂いて、心の中が喜びでいっぱいになる。どういう難儀なところを通らして頂いておっても、それを難儀を難儀と感じん程に有り難くならして、神様はもう本当に有り難い、そういう時に貴方は充実した心にある時であります。
ところが帰って実際問題に直面しますと、もうその心が萎れておりますから、それを不平不足又は難儀な心で受ける、難儀を感じる、私は修行しておると言う事はね素晴らしいけれども、こういう修行をしておる時には詰まらんと思う、それはまだおかげの頂けない状態のとき。例えば金銭の難儀しとる人が、もう毎日金銭で修行させて貰いよりますと言う時にはね、未だおかげの受けられない時です。成程修行しておる、修行さして頂いておると言う事がですね。
それを修行とも感じない程しに有り難いとき、あなたの心は充実しておる時です。私の修行中に、ああおかげを受けたなと思うとき思うことはね、そう言う事が何時も続いておったです。難儀はあってもです、もうその難儀はね、信心というか喜びで、もう消えておったと言うでしょうかね。先日から学院生が皆帰って来ておりました。五名のものが同じ、レポートを出さなければならない。
教会がどんなにして生れたか、そしてどう言う事が教会で行われておるか、と言う様なことをテーマで便箋十枚ばかりに書いて行かねばならないのです。それで一日全部共励殿に集まりましてね、だれでん同じ様なことばかり書いたっちゃいかんから、自分はこう言う事を書く、自分はこう言う事を書くと言う事を話合って、そして書いたらよかろうと言う事でありましたけども、仲々筆無精のものばかり揃うておるものですから、もうその前日になってばたばたしておる訳です。
その時に私が例えて言うと、私の方の直子の場合なんかは、もうあの人が生まれた時には既に椛目で人が助かりよった。ですから教会が生まれる前の前と言った様なところ。その辺のところを書いたらどうかと、お父さんがお話をするからそこへメモして控えなさいと言うて話ました。公子さんは教会が生まれる前と言うところを書きなさい、あんたが子供の時から教会、教会と言うて来てはいろいろ御用をさして貰いよった時分の、椛目の状態を書きなさい。
末永さんは丁度あんたが四年間修行させて頂いた、椛目から合楽へ移転する時分の状態のことを書いたらよい。山田さんはこういうところ、徹君はこのところ、と言う風にまあ大体分割してね、書けと言う事に夫々ヒントを与えた。それぞれ矢張りよい作文が出来ておりました。読ませて頂いたら。中で私が直子にお話致しましたことは、私が福岡での修行中の時分、もうその頃は神様がいろいろと彼に(私のことです)指図をなさった、それは直子が書くのですから、私のことを彼と呼んでる訳です。
そういう神様から右に行け、左にせよと、お指図を受けるそういう或る日、神は彼にこういう事を命じた。今日は吉木栄蔵先生の奥城が祖原というところにございました当時、祖原に小高い一寸した山です、の頂上におまつりしてある。ところがその日に限って、神様は私に道の無いところから入れと、藪の中を分けて通らなければならない様なところを神様は私にそれを命ぜられた。
それはもう八月の暑い最盛の頃である。それでも矢張り一生懸命神様の命ぜられるままに、山をよじ登って頂上に着いた。そこからは丁度博多湾が一望に見える素晴らしい景色のよいところである。その頃は私が道を歩いておっても、日陰を通っておると楽をしたい心は堕落をする心ぞと、そういう厳しう私に教えておられた時分である。夏の暑い道を歩く、日陰があれば日陰を選って歩くのが普通であるけれども、日陰に入ると神様はそういう心がもう堕落の始まりぞと。
だからむしろ暑い所を選って通ると言った様な時代であった。初めて神様がその頃としては、大変私に優しく囁きかけられる。頂上に大きな松の木があって、松の木陰があってその下に石がある。木陰に入れ石に腰を下ろせと神様は言うて下さる。そしてボタンをとれ、上着をとれ、そして風を入れよと言うて下さる。そして神様が博多湾を望んで一緒に素晴らしい景色じゃなと話かけて来られる。さあ汗も拭いたか、上着も取ったか、これから神がね、大坪総一郎の一生のことを物語ってやろうと仰しゃる。
それでのうても、只上着をとれ、ボタンをとれだけでも感動しておるのに、今日しかも優しく、今日は大坪総一郎が過去のこと、これからのこと、神が知らせてやると言う事であった。神様は私が生まれる前の前ことからお話が始まった。そしてお前の父であるところの大坪徳蔵が生まれた時に、いわゆる徳蔵と命名した、私の父の名前を徳蔵とつけられた。そしてお前の誕生である。その徳の蔵と書いてあるその徳の蔵から、総一郎とはその総てをもってこの世に生まれた。
それが本当に実現する事の為に、その徳がいよいよ表す事の出来る事の為に、三回も火の業をさせたと神様は言うとられる。成程私は三回大火傷をした、色々と物語られる。もうそれは私の幼少の時代から、酒屋の小僧に行った時分のことから、もうそれこそ良い事悪い事、もう逐一こう言う事もあったろうが、ああ言う事もあったろうがと、もうそれこそ忘れて消えておる様な事まで、神様は思い出さして話して下さる。
それが終わったら、さあこれからのことと、合楽教会がここに石浦に建立される事も暗に仄めかしてあった。その時分に家の格好までしてあった。客殿から眺めると、西南の方がずっと低うなっておるところに客殿が建っておる状態であったが、成程これだけ高うなったから、向こうの木をとったら向こうが低う見える様な感じ、そういう事も矢張り同じであった。椛目に住んでおる椛目の家と金光家との繋がりと言うか、もう真白い砂を敷き詰めたところを頂く。
金光家とつながる、そういう事なんかしかし夢、思いも考えもしない事であった。ところが、それから十何年の後には確かに金光家とのつながりも出来た豊美の結婚によって。まあこれは合楽教会の生まれる前の前、いうならば前奏曲とでも言わうか、まあ合楽秘文である。そう言う事をエピソード的に書いてるのですね。商売もいよいよ不振になった頃、親教会長と御一緒に御本部参拝した時に。
金光様にこれからの大坪総一郎の生き方在り方に、御神意を親先生がお伺いをされる事になった時に、三代金光様は御道の教師として、おかげを受けられたら結構ですというお言葉が下がった時に、まだお道の教師の教の字も考えなかった時である。商売がただ不振になった時分である。人が段々助かる様になって、あの椛目の二階に一部屋が始めて出来たとき私が始めて使っておった。その後を両親が使った。
その時分に私はお夢の中に、三代金光様が私の前に手をつかれて頼むと言わん許りに、只無言の中に手をつかれたお夢を頂いて、感激の余りに男泣きに泣いて居った事があった。金光様のお言葉と言い又そのお夢の中に金光様から頼まれた事と言い、あの時分に合楽の中ではいろんな問題があった。私が本部に行って教師の資格を取るか、そういう必要があろうかと、もう金光教神愛会でよいではないか。
新しい教団が設立されても良いじゃないか、大坪教でも、よかれば神愛教でもよいのだと言う様な働きがあった。そういう時代があった。その時に若し私が金光様のお言葉を頂いてなかったり、お夢の中のそういう事を頂いて無かったり、又は修行中に祖原山の頂上で神語りである、神様の神語りを聞いていなかったならば、ひょつとしたら新しい新興宗教が生まれて居ったかも知れない。
けれどもここが、こういうところを通らして頂いとったお陰で、私は十年経っても二十年経っても必ず教会になれる、必ず教師になれるという確信のもとにどういう中にあっても、それを有り難く受けて来たと言う事。ですから、これは教会が生まれる一っの前提としてそういうエピソートがあった。その時分の私の信心と言うものを思うて見るとき、もうどうしてこげな修行せんならんじゃろうかとか。
どうしてこげん道の無かところに神様は山に登れと言いなさるじゃろうかとか、折角そこからそこまで歩くとじゃけん日陰ば歩いてどうあるじゃろうかとか、いう気が更々なかったこと。そらこちらが気が付かんで居ると神様が、そうやって厳しう教えて下さることが只有り難うして有り難うしてこたえんじゃったと言うこと。私はその時分にです、大地の徳を受けたんだと自分で思います。大地がどの様な事であっても黙って受けるだけでなく、それを浄化したり、それをいよいよ大地が肥えるための。
大地をいよいよ沃土にして行く働きというものが、その時分に私は行われておったんだと思う。私は大地の天の恩を知って大地の恩を知らぬ事と仰しゃる、地の恩を聞いて只大地を拝むだけなら大した事ではないて、その地の心を地の心として自分の心に頂けた時に、それは一切の難儀を自分の根肥やしとして受ける事が出来る。その事が有り難いもうこげな修行しよります。こげな難儀しょりますと言う様な事ではね、そういう未だ未だおかげが受けられん時、そういう修行を修行と感じない程しに有難くなれれる信心。
それが始めて私は地の徳がわかり地の徳が自分について来ておる時であり、そこから分からして貰う地の恩であって始めて、地の恩を知ったと言う事になるのじゃなかろうかと私は思う。そういう時です、例えば私が何時も正義さんを例にとりますけれども、そういう難儀困迫というか、破れ服を着て破れカバンを提げて、神様の御指命のままに右、左歩いておった時分にです、何とはなしに大坪さんの、それこそ後から拝まして貰いたい様なもの、御光がさす様なものを感じた。
自分の心の中がそういう喜びで充実しておるとき、そういう私は、本当にあの人は只人じゃなかろうと全然知らぬ者でも、そういう表現で私の事を言うておった時代の事を思うのであります。こげな修行から何時まで、こういう修行しとらんならんじゃろうかと、言った様に未だ修行を修行と感じ難儀と感じる時代、未だ修行不足であることをね悟らして頂いて、いよいよ地の徳、地の恩を分からせて貰えると言う事は、自分自身が地の心を心として自分に頂けた時に、始めてその事が言えるのじゃないかと思います。
どうぞ。